櫻本縁起

上の写真はくるみコーヒーからの眺めsns映えするよと言われて載せてみました。

櫻本縁起

手を膝に揃え、風に打たれながら四百年前から、ここに座りこの景色を見ていた。

春は風が吹くと微かな香りとともに緑が落ちた。
それが、脇の小川に流れ、小さな船のように浮かんだ。

夏は白い雲と影と鳥とが一緒になって山並みを越えるのが見えた。
小さな虫たちは、木や蔓や草を夢中になってよじ登っていった。

秋は赤い木々の間を縫って走る、獣たちの息づかいと足音を聞いた。
たまには急に横倒しになって動かないものもいたが、
それは、他の生きものたちが丁寧に埋葬してくれていたようだ。

冬はやっと辿り着いた太陽の欠片が、ここから逃げ出さないように、
じっと黙って春を待った。

鳥や虫や生きものたちは、太陽や月の満ち欠けに合わせて
正確に生活を繰り返し、素直に無頓着で力強く
それは、ただの必然でしかないように思えた。
私の存在もそれと同化していった。

四百年経った。私は朽ち落ち再生してという作用を
幾度繰り返しただろうか。
私を知るものは少なくなり、今では皆無に等しくなった。

私は羽石盛長の娘 、「櫻」
天正十三年、四月一日、我が城の落城とともに
二人の幼な子を連れ、ここで自害した。
城に火が放たれ、葦の間を縫って走った。
途中、橋のたもとで鏡を落とした。
あたりは草の匂いと虫の声
遠く、近くに見える城の炎上。
それが、現世最期の記憶。

このまま朽ち落ち土に還る運命と思っていた。
しかし、天はそうさせなかった。

5月15日、妻と二人、益子の「道の駅」に行った。
一昨年10月にオープンした近代的でオシャレな建物。
およそ、この場所に相応しくない、3年前まで田んぼだった場所だ。
家から弁当を持参し、建物の裏手の芝生のベンチで弁当を広げた。
道の駅で峠の釜飯と、子ども用のべっこう飴を用意した。
すぐ傍で桜の木が青々とした葉を揺らしていた。

明日5月16日は四百卅四年目の、櫻姫様の自害した場所
「櫻本」のお祀りの日だ。
妻の実家、柳家は代々この場所を護り続けてきた。
妻の兄が二十一代目になる。
兄夫婦には子どもが無く柳家は兄の代で絶えそうだ。

櫻本だけが気掛かりでならなかった。
しかし、今は奇跡的に栃木県の施設の中に組み込まれ保存されている。

風が吹いて、空は青く、白い雲がその影と一緒に山並みを越えて行った。

「櫻姫さまは喜んでおられるだろうか?」と私が言うと
「神さまになったよ、きっと」と妻が言った。

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