滑舌の悪い二人

コーヒー屋を始めるとき
友人に奈良の大神神社にお詣りしといた方がいいと言われた

わけも分からず深夜バスで行ってみよう^_^ということになり
東京駅の予約センターに電話をした。

「お名前をご確認します。イケラ チュウキチさんですね」
「いや、イケダユウイチです」
「はい、イケラ ジュウイチさんですね」
「いや、イケダユウイチです」
「はい、失礼いたしました。イケダ チュウキチさんですね」

僕は憮然として、
「はい、わたしは イケダ チュウキチです」と。

それから名前を聞かれるのが苦手だ。
どうしても答えなければならないとき以外はなるべく言わない。
チュウキチです、とか ジュウイチです、とか 答えることもある。

どうせ滑舌が悪いから伝わらないし、名前なんかどうでもいいとも思っている。

娘には「お父さんってグルグル言っててエンジン音みたい」
とか、辛辣な言いようだ。

確かに頭の中は
いつもくだらないことで、グルグルしているのだが。
喋りも上手じゃないし、人見知りだから
人からはちょっと足りないんじゃないかと思われているようだ。

ハナ

当家の白犬ハナは十五才になる。
認知症が入って来ているうえに、耳も遠いし、目も白濁している。

郵便局まで200メートルぐらいの散歩でも
気を付けてゆっくり歩かないと、仰向けにひっくり返って泡を吹くことがある。

ハナは娘が小学1年の時私が連れてきた。

近所の親戚の家で、コーギーを買って来て
毎日のように嬉しそうに遊びに行っていた娘を見て

父は娘に気にいられるように、笠間と八郷の間の山の中で
捨てられいた犬を拾ってきたのだ。

最初の数年は
拾ってきた五月に折り紙で首飾りを作ったりして誕生会をしていたが、
今は「行ってくるよ」とか「ただいま」とかしか
コミニュケーションをとっていない。

ハナは元来、おとなしい犬だが、無駄吠えをしないようにと
「お前は猫なんだからワンじゃないよ。ニャンって鳴くんだよ」
と教えていた。

「ワン」
「ノーノー、ニャン」
「ワン」
「ノーノー、ニャン」

根気よく何カ月も続けていると
「ウオーン」「アーオン」「ウエーン」
だんだん上手になってきた。

「そうそう、いいねー、その調子、その調子」
と、ジャーキーをあげながら褒めていたら
すっかりワンじゃなくて「アーオン」になってしまった。

散歩に行きたいとき、「アーオン」
おなかが空いたら「ウオーン」って感じ。

朝は「おはよう」と声をかけると「オーウン」
「行ってくるよ」「エーオン」
「ただいま」「ウオンオンウオーン」

そのハナが、この頃夕方になると喋り始める。
隣のガソリンスタンドのオレンジ色の街灯を見ながら喋っている。

ワン、ワンと吠えているわけではないので、叱るわけにもいかない。
「アーオン」「アーアー」「ウーオン」「オーウン」「ウオンウー」
電灯が点いているあいだは喋っている。

先日、娘が帰って来て
「ハナ、どうしたの、何が言いたいのかな。もうぜんぶ喋っちゃいなよ。滑舌悪いぞ〜」
と言っていた。

滑舌の悪い二人である。

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