
肌に冷たい風を感じると、夏の終わりのあの頃を思い出してしまいます。
高校二年の夏休み明けマッシュルームカットの僕は少し不良に憧れていました。
1970年代の終わりの巷には、丈の長い学生服にボンタンというダブダブのズボンを履いた
いかにも強そうなお兄さん達がいました。
ピカピカのエナメルの靴を履き、頭髪は大仏のようなパンチパーマかテカテカ光るリーゼント、
肩をうねらせペタペタ歩き、舐めるように下から上に見上げる「ガンをつける」眼差しは
多くの情報を持たない少年には、「ああいう変化の仕方もあるのだな」と
いくらか「カッコいいのかもしれない」と映ったのです。
家に帰ってマッシュルームカットに母親の なんだか分からない美容液を塗り付け
オールバックにしてみたり、スイミングキャップを被って恐い顔を作ってみたりしてみても、
「まるで恐くない」「まったく似合わない」「むしろ滑稽でしかない」
その時点で私の硬派への道は簡単に途切れてしまったのです。
いや、そこからは逆行へと向かって行ったのです。
高校二年の夏休みが過ぎると一緒に遊んでいた友達は皆、臨戦態勢に入ります。
塾やら家庭教師やらで遊んでくれないのです。
私は天才なのでそんな必要もなく、一人で家に帰っていました。
その頃の私は家に帰ってすぐパジャマに着替え勉強します、と言いながら
ズッとゆっくりすることを常としていました。
家にまっすぐ帰るので、「だんだん早く帰りたい」という想いが、
「早くパジャマに着替えたい」という想いに転嫁されるようになっていきました。
パジャマに着替えたいという欲求は加速し、玄関が見える路地を曲がる前の
パン屋のあたりから、いつしか上着のボタンに手がかかるようになってしまいました。
玄関を開ける時点では、上着を脱いでズボンのベルトに手がかかっていたのです。
早くパジャマに着替えることのみが、生活の課題になってしまったのです。
そして、ある日私は思いつきました。
「学生服の下にパジャマを着ちゃえばいいじゃん」と
それからは、いかに他の人にバレないか、というミッションが加わりました。
見つかれば、必ず笑われる。でも、パジャマには着替えたい、
この二律背反の綱渡り的快楽に溺れていったのです。
「体育のある日は、パジャマを着て行かない」
「パジャマの裾が出ないように、靴下の中にパジャマの裾を入れる」
「今まで通りの体型に見えるよう体重を維持する、むしろ痩せる」
そんなことを繰り返しながら学校に通う高校二年の秋から冬
パジャマの襟がみえなよう、詰襟の一番上までしっかり止めていた
マッシュルームカットの僕は、まるで優等生のように見えたはずです。
このミッションが成功していた私は早々とパジャマに着替え、
そのついでにと布団に入り、夜中に起きて勉強しよう、と言いながら
そのまま朝を迎える。こんな生活が常態化してしまいました。
もう、後戻りできない負の連鎖です。
そのため、別の一番大事なミッションは……。
秋の風を感じると林修先生の、いつやるの ❓「今でしょ」
の言葉が身に浸みるのです、しみじみと。