
桜の季節は朧げで夢でも見ているような不思議なことがあるものです。
山を歩いて植物の調査、研究をしているnさんから聞いた十年以上前の話です。
丁度この時季、枝垂れ桜を観に隣町の笠間(旧友部地区)の寺を訪ねました。
そこで一緒になった九十歳を過ぎた老婦人に誘われて、御自宅でお茶をご馳走になったそうです。
古い神社の近くの長い黒塀に囲まれた敷地には、幾つもの邸が並び、時代と家風を重んじる重厚さを感じたそうです。
老婦人は、御歳には見えず頭脳も明晰で、能や謡曲を諳んじられ、奈良の吉野の茶店の側の桜の事まで細やかに話されました。話も弾みもう一軒枝垂れ桜を観ようと別の場所に移動して、見学して別れたのは夕方でした。
nさんはこの時期、車に乗っていなかったので、山越えをしてバスの通る石岡の八郷地区に向かって歩いていました。
道祖神峠という、その山越えは昼間でも通りが少なく不気味な場所です。nさんが峠に差し掛かったころ、一台の女性が乗った車とすれ違いました。その車の女性は車からnさんに、弁当を手渡したそうです。あまりにも自然なので、躊躇することなく、弁当を頂き食べました。確かに食べたそうです。
山を降り、路線バスに乗り常磐線の石岡駅へと向かいました。その途中、泥酔した男が乗って来ました。からまれたら嫌だな 、と思いながら素知らぬフリをしていると、その男はnさんに近づき親しそうに話し掛けてくるのだそうです。誰か知り合いと間違えている様だったと。とても不思議な感覚だったそうです。
二件とも自分とは違う、誰かに見えていたようです。
この話は何処から始まっているのでしょうか。もしかしたら、老婦人のところからかも知れません。
人には時に、こんな風な不安定な出来事が重なります。霞のかかったりような不確かさは、何故か甘い郷愁めいたものさえ感じさせ、バランスを失います。
桜酔い とか云うのでしょうか。
外は桜が咲き始めました。
花見のつもりが、桜に見詰められないよう
ご用心 ご用心。